「シーーーク!!」演出コメント

僕たちはこの世界をどれだけ実感できるだろう。
 
 今回の「シーーーク!!」という作品はですね、コメディの陰に隠れて伝わりにくいんですけど、一応人類の宇宙観測の歴史を追いかけている作品なんです。
 肉眼で星たちをみることしかできなかった時代から、光学望遠鏡を手に入れて拡大された世界をみる時代、さらに発展して、電波望遠鏡によってもはや目で見える以上のものを観測する時代、やがてデータを基に推測や理論が展開する時代を、物語の進行に沿って疑似体験していくという物語なんです。
 
 観測史というのを勉強していくと面白いのは、新しい観測方法が発見されるたびに、その時代の人間は壁にぶち当たったと感じてしまうところです。400年前、ガリレオが30倍程度の望遠鏡を手にして月や木星をみた時に、人々は思うわけです、「もう宇宙のことはガリレオが全部解いてしまった」って。
 これって、作曲をしてる人とかにもよくあって、「もうあの曲よりいい曲なんかかけるわけない!」みたいなことかんじることあるんですよ。
 でもやっぱりそのあともいい曲って現れるし、なかなか現実世界には「ここがゴール!」みたいなことってない。そうしてみると、限界というのは結局それぞれの人間の中にあって、終わりと決めた人間から終わりになるもんなんじゃないかと僕には思えてきます。
 たぶん、ガリレオがずーっと生きてたら、新しい観測方法が現れるたびに適応していくんじゃないかと思います。そしてそういう人間が、いつでも最新型の世界に生きていけるのだろうなと。
 現にもはや400年前の観測をはるかに越えた世界を僕たちは覗ける環境にある。でもまあ、それをぜんぜん理解せずに毎日を暮らしてる人もいるわけですからね。理解しないままに、間接的にその恩恵にさずかってケータイ電話や衛星中継放送を使いながら。最後はテクノロジーの差ではなく、人間個体ごとの差ですよね。

 


ダンヴォリオンというヒーロー。
 
 今回の目玉は何といっても映像でしょう。ダンヴォリオン!!
 実際撮影されたダンヴォリオンと、3DのCGで作成されたダンヴォリオンを合成して作られています。
 細かい演技部分には特撮を使って、空中戦や宇宙船との共演にはCGを使っています。
 
 映像の若井くんと、ここ半年くらいウルトラマンの話ばっかりしていて、ある意味その盛り上がりから今作の流れになったと言えますね。でも、二人とも半端なく愛情があるから、中途半端に作ることができない。パロディ的な部分があったとしても、笑いを取るためにつくっているわけではないから、すごく真剣に作りこみました。笑いがあるとしたら、「ものすごく本格的なヒーローだ!…だけど段ボールだ!」という部分だけですね。段ボールでさえなければすごい、という初期設定だけに笑いがあるという勝負でした。
 でも、段々カッコ良く見えてくるから不思議ですね…。
 
 あ、あとリサ・ランドール博士の5次元理論というのが、最近脚光を浴びているので、ダンヴォリオンが2次元から来たという設定には、すこしその辺の事情を含ませたりしました。多次元宇宙というテーマは、そのうち他の作品でも扱ってみたいと思います。
 
 
見える世界。信じる世界。

 
 八代典子さんが演じた「剱崎ミチル」という主人公は、未確認な現象を実証する研究所からきた人物なんですが、事象のグレーゾーンに踏み込むという仕事って、一番疲れる商売なんじゃないかって思うんですよね。
 例えばUFO研究家とかって、実際はどっちかなんですよ、「いる」「いない」の立場が。そんでそれはけっこう楽しいだろうなと。だけど客観性を持って調査している研究は大変だと思う。そしてそれは実は科学者だったりする。だから、剱崎がオカルトチックな世界からやってきて、科学的な船のクルーと交感を重ねていくうちに、ゴールが似たものであると実感するのは、ある意味当然なのかもしれないですね。
 
 演出した僕自身、実は、あやふやなものや、答えのでないものや、そういうのが嫌いじゃなくて、なんていうか、イエスかノーかをハッキリしたい気持ちもわかるけど、いがみ合わなくても、両方の気持ちがわかるような気がしているんです。
 宇宙人論でいうなら、「いる」という人の意見を聞いているうちは「いるよなー」って思う。「いない」意見を聞くときは「そりゃあいねーや」と思う。量子論みたいに、いるけどいないような気持ちがどっちも湧いてきちゃうんですよ。そんで最後には「わかんねーことがまだまだあってよかったなあ」とワケわかんない気持ちになったりするわけです。
 
 だから、まあ、「ワケわかんなかったです」と今作を観た時に思った人は、申し訳ないながらも、それで正解です。
 まだまだ毎日見える世界は広がっていって、人間はまだそれを追いかけている途中なのでした。